冬山は登頂に執着しないで
登山を頑張る人には言い辛い言葉ですが、冬山を始める方、始めたばかりの方にはそう教えています。更に、「負け癖」という、嫌な言葉を受け入れてもらっています。
登山ツアーのコースやガイド登山だけでなく、個人的に後輩を冬山に連れて行く際にも、冬山での「負け癖」を付けて、と説いてます。
「負け癖」とは?
登頂を勝利、勝ち。とすれば、登頂しきれないことを敗退、負け。
はい、どんどん負けて欲しい。冬山を始めたばかりの頃は。2回、3回、人によっては10回以上、冬山にチャレンジ・アタックしても一度も頂上には登れていない。それで良いのです。それを繰り返しているうちに、「どうせ今回も登れないんだ」。それで良いのです。
なぜ登頂してはいけないの?
夏山よりもずっと「危険」な冬山。夏山なら何とかなることも、冬山では何とかならないことが多いです。
山の上でのんびりしすぎたりして下山が計画より遅れても、日が長ければ明るいうちに下山ができたりする。たとえ道に迷ったりして下山不能になっても、一晩だけなら野宿もできたりする。そもそも夏山は人が多く山に入るので、困ったことが起きたら多くの人が助けてくれて、難を逃れるチャンスも多くある。
しかし冬山は違います。
下山が遅れればあっという間に日没。真っ暗になるだけでなく、気温も急激に下がり、相応の装備がなければ野宿も不可能。午後にもなれば登ってくる人もまばらになり、自分が最後尾で下山しているとなれば、翌朝までは誰にも助けてもらえない。翌朝まで持ちこたえられても天気が悪ければ翌日も救助の人もやってこない。
それほど冬山は危険です。
冬山を始めたばかりの人には、登頂の喜びを覚えてもらう前に、冬山の危険を身体で十分に感じてもらいたい。何度も敗退を繰り返しながら、多くの気づきを得ていただきたい。
「ここで予定通りに進まなかったらどうなるだろう?」
たくさんの自問自答を繰り返しながら経験を積んでもらいたい。そう願っています。
冬山での失敗例
西高東低が続く冬型の気圧配置。太平洋側の平野部では晴天が続く一方、日本海側は降雪が続きます。
北アルプスの稜線上では吹雪く日が続きます。太平洋側に近い八ヶ岳でも天気は晴れていても、風速20m/sを超える強風が吹きつける日が続きます。
月に数度、移動性高気圧が山域に近づき覆うタイミングが、登山日和となります。仕事の休みの日にたまたま当たればそれはラッキー。多くの登山者の列に囲まれながら穏やかな天候の下で存分に雪山登山の醍醐味を味わうことができるでしょう。
しかし、絶好の登頂タイミングが半日ずれただけでも、下山が困難になる程の悪天候に急変することも珍しくはありません。
◆失敗のシミュレーション
・登りは好天。前後に多くの登山者もいて、順調に山頂を目指す。
・頂上に到着。登りの時にはたくさんいた登山者も頂上ではまばら。
・下山を開始と共に風が強まる。前方に登山者は見えても後ろにはもう誰も見当たらない。
・風がどんどん強まり、顔の肌に突き刺す冷気が我慢できなくなる。更には目を開けることも困難な程に風は強まる。
・顔の凍傷を防ぐためにバラクラバとゴーグルを装着したものの、自分の吐く息でゴーグルが曇ってしまう。その曇りが凍結し視界が利かない。こすっても凍結は取れない。かといってゴーグルを外すわけにも行かない。
・ 登りの時はアイゼンの爪がサクサク刺さった雪道も、テラテラに青く光る氷に代わっている。アイゼンの爪は根元まで刺さらず、氷の上に浮いている状態。緊張を強いられる。
・様々な不具合があって、下山のペースは上がらない。前方もよく見えずのろのろ歩いているうちにますます天候が悪化。
そんな時に何ができるか?
・岩陰に隠れて体力の温存を図る(そんな岩場があればよい)
・ザックからツェルトを取り出し緊急ビバーク(ザックからツェルトを取り出せないほどの強風?仮に出せてもあっという間に風で飛ばされてしまう?飛ばされなくてもテントの様な空間を強風下でつくれるのか?
・仮に空間を作れても、その後どうする?
天候の悪化は時間の経過とともにひどくなる。
◆失敗の気象的リスク
・移動性高気圧が山域を越え、東側に位置し始めると、3000m級の稜線は急激に天候が悪化します。偏西風の位置にもよりますが、その悪化の早さはまちまち。早い時は登りと下りで全く違う天気を経験することができます。
・移動性高気圧に限らず、一見穏やかな天気を信じ登ったものの、それは悪天候の中の一時的な晴れ間( 疑似好天・疑似晴天 )ということも。
涸沢カール等、電波の届かないエリアでは最新の天気予報を確認することが難しく、皆が登っているから登ってしまったり、青空が見えたから天気が回復したのかと信じてしまったり、ということも。
救助要請をしたとて場所によっては救助隊が来れるのは翌朝か、場合によってはその翌日ということも。
上記のシミュレーションは数あるリスク(遭難のきっかけ)の一つの例。
他にもどれ程のヒヤリハットや遭難のきっかけが冬山に潜んでいることか。
ビギナーズラックで簡単に登頂できてしまえば、次の目標の山は今回よりもさらに難易度の高い山を選んでしまうでしょう。冬山の脅威を知らずに夏山の様に次々とレベルアップしていくのは危険極まりない。
というのが、負け癖を付けてほしい、という根拠です。
なんとかならない冬山
なんとかならないからこそ、何とかなる範囲内で経験を積むこと。
信頼できる経験者と一緒に行動する。無理はしない。どんな時でも安全に下山できることを考え続け良いアイデアを取り入れる。
・この先「天気予報が外れたら」と思いながら行動する。
・リアルタイムの雨雲レーダーを行動中も確認し続ける。
・周囲の雲や風の変化を意識し続ける。「天気予報は一定割合で外れる」と肝に銘ずる。天気予報に命を賭けてはいけない。
・早発早着を心がける。午後遅い時間になれば救助要請しても翌朝の出動となる事が多い。
・先行者の踏み跡(トレース)を無暗に信じない。一般道ではない行先だったりすることも。また雪庇の上を歩いていたりと間違ったルート取りしているケースも。
・その山域で電波の繋がるキャリアの携帯電話をパーティー内で1つ持つ 。どのキャリアの電波が繋がるかは無雪期に確認しておく。電波が繋がらず救助要請ができず手遅れ、なんてことのないように。電波が届かないなら登山者で賑わう人気ルートを選ぶ。
・自分以外のメンバーが行動不能になった時の為にも ビバークセット を必ず持参する
冬山、特に12月中旬から2月までの期間に3000m級の山に入る際には、 アイゼン・ピッケルの使い方だけでなく、様々なリスク管理も入念に。
常に安全に下山できることを最優先しながら、冬山経験を積み、冬山初級者を卒業して次のステップに進んでいただきたい。
どれ程技術の高い人でも、悪天候の冬山に突っ込めば太刀打ちできません。冬山における天候の要素は登山者の巧拙を全て飲みこむほど。技術の高い人は、登っては行けない日には冬山に居続けません。 頂上も踏みません。なんとかなる間に下山してるか、山小屋やテントの中で安全を確保しています。
冬山で「なんとかなる」ことはありません。
もう誰もいない、もう誰も助けに来れない冬山に一人 居残ってはいけません。
連戦連敗の末の初勝利
負けが続く中、奇跡的に頂上に立てた。それまでに多くの敗退を喫した人であれば、より多くの感動を感じることと思います。また、冬山の厳しさも多く実感し、その対応策・工夫もビギナーズラックで立てた人とは違いがあると思います。
登れる日に登れる山に登らせてもらう。条件が良い時だけ、そっと頂上に立たせて貰う。確信がなければ、頂上はあきらめる。
危険な冬山に、そのように接していただければ。
頂上に到達しなくても、将来の冬山登山に必要な知見や経験を得る事を最優先していただくことを願います。
旅行会社主催の登山ツアーで講師(ガイド)を務める「登山ガイド.net」管理人の 矢ケ崎 晶 です。
一年間に千人超のお客様と登山を楽しんでいます。その際、登山中に受けたご質問を中心に当サイトに記録して参ります。
これからも優しい丁寧なガイドを目指し究めます!
Awesome post! Keep up the great work! 🙂